本日ハ 晴天ナリ。
空はまるで仏の心のようにどこまでも澄んでいた。
そう、この空の向こうに彼は静かに直立している。
逢いに行くのだ、彼に。
阿修羅に・・・。
『阿修羅展』今回は、奈良は
興福寺に収蔵されている「国宝 八部衆立像」のうち、阿修羅を含む五躯と、「国宝 十大弟子像」 六躯のうち四躯、その他、運慶作と言われる「釈迦如来像頭部」などが展示されている。
その中でもやはり一番人気は阿修羅立像であった。
博物館に到着した時は、入り口まですでに長蛇の列が続いていた。
やっとの思いで入館すると、彷彿とした光の中、無駄を削ぎ落とした少年のような華奢な体が、神々しくそこにあった。
しかし、見惚れているのも束の間。現実では、阿修羅像の周りに三重四重の人の輪ができており、圧死寸前での鑑賞となった。
阿修羅、その人気の高さが伺える。
ともあれ、国宝 阿修羅立像をガラスケース無しの生で、しかも
「ぐるり360度」、その姿を拝観することができ、今生の思い出のひとつとなった。
阿修羅仏の教えをまもる「天」という位に属する八部衆の中の一神である。
もともとは古代インドの戦闘の神だったが、仏教に取り込まれ、護法の善神となったそうだ。
釈迦の教えによって開眼する前は、「天」の位の中でも特に上位に位置する「帝釈天」に戦いを挑み続けていたらしい。
興福寺からはるばる来られた阿修羅像はそんな激しい気性の頃の面影はなく、静かで慈悲深く、どこか憂いのあるお顔をされていた。すべてを見透かされていそうな目に見つめられると、悪いことはできないなぁと思ってしまう。
近年、仏像鑑賞が静かなブームであると知った。
仏像ガールという仏像を愛してやまない女性もいる。
以前、NHKで
「にっぽん こころの仏像」という番組があったが、その反響が大きかったことに正直驚いた。老若男女問わず、それぞれ心に”これ”という「一仏」があるのだ。モデルの
はなchanは、仏像マニアで有名だが、特に思い入れがあるのは、東寺の「帝釈天」で、もうほとんど恋心に近いものらしい。
(オススメ本です)かく言う私も、修学旅行で毘盧遮那仏(奈良の大仏)を初めて見たとき、やっぱり自分は日本人だと思った覚えがある。自分の中の根底に「仏教」が流れていることを感じた。(「仏教」と言ってしまったら、やや大袈裟なのだが。)
そこではこんな句を詠んだ。
― 行く春や 毘盧遮那仏は 沈黙す chai ―奈良の大仏は過ぎ行く春を何度も見ながら、ただそこに静かに腰をおろして人々を受け入れてきたのである。その姿に感慨深くなったことを思い出す。
無宗教無信仰だと言われがちな日本人だが、私たちには気付かなくとも何かしら神仏の教えが心の中に入り込んでいるのだと思う。
友人がぼそりと告白した。「実は最近、仏像を観に行きたくて・・・。」
ここにもいたか。よし行こう!まずは阿修羅から。
(※今回の展示写真(カラー部分)は「九州国立博物館」よりご提供いただきました。画像の転載はご遠慮ください。)